時間を自由に行き来できるかどうかの考え。【リアル視点】
理系の大学生で素人ですが、SF関連についてずっと興味があり、
私自身の見解を(というと、大げさに聞こえるかもしれないけれど。)書き残していきたいと思い、何か良いプラットホームはないかと考えたときに
ブログという形で書いてみようと思った。
知り合いに見られても恥ずかしくない程度の文章は書きたいと思う。
今回は昔から考えてきた事とは異なる考え方を持つようになった、タイムリープについて書いてみる。
私は小さいころ、某ネコ型ロボットやSFの小説などもあり、未来にタイムリープ。
要は、時間を過去や未来へと容易に移動出来るようになればいいな。
とよく考えていた。
しかし、ある時それができるのは100パーセント私ではない。
と感じるようになった。
理由は、私が現時点で世界で1番幸せという確証を持てないからである。
無論、幸福か否かと聞かれたならば、幸せでないわけではないと答えると思う。
親に最低限学費を払ってもらって、自身の夢のために大学に行くことを容認してもらっているのだから。
しかし、将来タイムリープが出来るのであるのならば、私は自身が最低限後悔が少ないよう事実を改変していると思う。
新しいものに法などなく、倫理観云々という問題はない。
このような経緯で私はそんなタイムリープなど少なくとも自身が関わることはないであろうという結論に至った。
のだが、、
最近見たとあるアニメの中で(アニメはフィクションであるから、あくまで考え方を受け入れただけだけれど)、新たな考えに至った。
この世界線には現状存在しない。だが将来自分が出来る可能性もある。
というものである。
前半部分は大衆が感じていることと同様、私たちが生きてきた現歴史の史実の中には事実として存在しないということである。しかし、後半の意味というものは、少し説明を加える必要がある。
つまり、現状いる世界線は、別の世界線の分岐ルートであるかもしれないし、主なルートかもしれない。これに加えて、将来タイムリープが出来るようになることで、別の世界線に飛び込んでしまうということも考えることが出来るということである。
この世界線が複数あるというものも、面白いもので1度雰囲気を味わえば、様々な人生の選択をする上で気になってくるものである。ここではこの話はいったん置こう。
そういう変遷があって現状、また小さい時と同じようなSFが大好きで少し信じたい気持ちが忘れられないような少年にそのアニメがきっかけで戻ったわけである。
私自身の中である程度納得する自信をもって。
文章が稚拙。だけれどもまあ、物書きではないので。
こういう話は友達にもできないし、はたまた家族にさえできない。
出来ないというよりも、こういうことは一人で考えたほうが楽しいものである。
そんな人がいればいいなと思い、今回は締める。